2018年06月04日
7年ぶりの龍神丸 ~岩手から2000キロ、沖縄県今帰仁村での再会!~
またもや卯城農場長に頼まれて、臨時農場長としてブログを書きます。
少し長いですが、どうぞお付き合い下さいね
さて先日のブログで書いた通り、東日本大震災の津波により流されて7年が過ぎ、2000キロも離れた沖縄県今帰仁村で見つかった、龍神丸市場の大石店長の実家の船「龍神丸」に会いに、昨日今日と現地へ行って来ました。
今帰仁村の古宇利沖で見つかり、運天漁港に陸揚げされた龍神丸。



操業していた当時は青色をしていた船内の塗料はすっかり落ち、船内には至る所に傷や穴が。
それでも、、

大石家の思いが詰まった「龍神丸」の文字はしっかりと刻まれたままでした。
昨日はお昼前に到着するやいなや、
「ん、何だこの人だかりは!?」

なんとこんなにも報道と関係者の方々が!



「たっぷりと龍神丸を撮ってやろう」とここ最近、意気揚々と買い替えたばかりのお気に入りのiPadを左手に携えたまま、一枚も写真を撮ることもなく、ひたすらに記者の方からの取材を受けるたっちゃん。
(代わりにたくさん撮ったからな~!)

船外機もカバーが外れ、むき出しになったまま朽ち果て錆び付いていました。
龍神丸が漂流しているのを見つけて下さった、今帰仁漁港の神谷さんと。

誰も乗っていない状態であったため、まずは海難事故の可能性を考えて海上保安庁へ通報したそうです。
終始本当に嬉しそうだった大石店長。

まるで家族のような存在だった、かつての龍神丸と再会できた喜びとともに、色々な思い出が胸に去来していたそうです。
あいにくの大雨の中、船名と船体番号のプレートを外すたっちゃん。

本当は船ごと岩手へ帰ることを願っていたのですが、津波から7年にも及ぶ過酷な旅で船体があまりにも損傷していたために、今回はプレートだけを大切に持ち帰ることにしました。

わざわざお越し頂いた、今帰仁村の喜屋武村長と。
少しお話をする時間があったので伺ってみると、今後陸揚げされた龍神丸がどのようになるかは現在検討中とのことですが、出来れば山田町と今帰仁村の架け橋となるような活用が出来たら、とのことでした。
何ということでしょう。。
長い孤独な旅を終えて、やっと役目を終えたはずの「龍神丸」がもしかしたら、遥か沖縄の青い海の側で、また新たな役目を担うことになるかもしれません。
本日の読売新聞の朝刊

沖縄タイムスと琉球新報

その他、岩手や東北の新聞の新聞にも記事が載りました。
またテレビ朝日やNHKのニュースでも大きく取り扱って頂きました。
雨降る中、わざわざ取材にお越し頂けた皆様。
おかげさまで龍神丸の事をたくさんの方に知って頂くことが出来ました!
大石店長に代わり、心より御礼申し上げます。
最後に。
本日沖縄からの帰路、お店より連絡がありました。
「うさぎやの小俣社長が、読売新聞の記事のコピーとお手紙を届けて下さいました」とのことで、急いでお店に帰ってさっそく見てみると、、

私もたっちゃんも敬愛する小俣社長のお手紙の中には、
「太平洋の真中をさまよっていた船が」
「龍神丸市場の店の看板を掲げて最高においしい料理でお客様をもてなしたところ、お客様からの評判が高くなり、たくさんの人達が龍神丸の名を口にして、日々その名を口にする人が増えていっていました」
「人々が龍神丸と言うたびに太平洋の龍神丸に声が伝わって、龍神丸は日本に帰ろうと海流に乗って今帰仁村に戻って来たように感じました」
「言葉の力(ことのは)で帰ってきた龍神丸は、大石店長と再会することができてどんなに嬉しかったでしょう。よかったですね! 2018年6月4日 うさぎや 小俣能範」
そうであったのかもしれない。
どうかそうであってほしい。
そして、これからもそうであらねばならないと強く思いました。
龍神丸、ありがとう。
長い船旅、本当にお疲れ様でした。
たっちゃん、本当に良かった!!
これからは龍神丸市場で「龍神丸」の看板と一緒に、少しずつご恩返しをしていかなきゃ、だね。

最後に告知を
今回の龍神丸のお話は、6月5日(火)20時30分からの八王子FM「けいの家 龍神丸市場の嬉しかったら嬉しいな~!」で、二週連続でたっぷりとやりますので、ぜひ聴いて下さいね!!
(アプリで全国どこからでも聴けます)
https://775fm.com/timetable/keinoya/
少し長いですが、どうぞお付き合い下さいね

さて先日のブログで書いた通り、東日本大震災の津波により流されて7年が過ぎ、2000キロも離れた沖縄県今帰仁村で見つかった、龍神丸市場の大石店長の実家の船「龍神丸」に会いに、昨日今日と現地へ行って来ました。
今帰仁村の古宇利沖で見つかり、運天漁港に陸揚げされた龍神丸。



操業していた当時は青色をしていた船内の塗料はすっかり落ち、船内には至る所に傷や穴が。
それでも、、

大石家の思いが詰まった「龍神丸」の文字はしっかりと刻まれたままでした。
昨日はお昼前に到着するやいなや、
「ん、何だこの人だかりは!?」

なんとこんなにも報道と関係者の方々が!



「たっぷりと龍神丸を撮ってやろう」とここ最近、意気揚々と買い替えたばかりのお気に入りのiPadを左手に携えたまま、一枚も写真を撮ることもなく、ひたすらに記者の方からの取材を受けるたっちゃん。
(代わりにたくさん撮ったからな~!)

船外機もカバーが外れ、むき出しになったまま朽ち果て錆び付いていました。
龍神丸が漂流しているのを見つけて下さった、今帰仁漁港の神谷さんと。

誰も乗っていない状態であったため、まずは海難事故の可能性を考えて海上保安庁へ通報したそうです。
終始本当に嬉しそうだった大石店長。

まるで家族のような存在だった、かつての龍神丸と再会できた喜びとともに、色々な思い出が胸に去来していたそうです。
あいにくの大雨の中、船名と船体番号のプレートを外すたっちゃん。

本当は船ごと岩手へ帰ることを願っていたのですが、津波から7年にも及ぶ過酷な旅で船体があまりにも損傷していたために、今回はプレートだけを大切に持ち帰ることにしました。

わざわざお越し頂いた、今帰仁村の喜屋武村長と。
少しお話をする時間があったので伺ってみると、今後陸揚げされた龍神丸がどのようになるかは現在検討中とのことですが、出来れば山田町と今帰仁村の架け橋となるような活用が出来たら、とのことでした。
何ということでしょう。。
長い孤独な旅を終えて、やっと役目を終えたはずの「龍神丸」がもしかしたら、遥か沖縄の青い海の側で、また新たな役目を担うことになるかもしれません。
本日の読売新聞の朝刊

沖縄タイムスと琉球新報

その他、岩手や東北の新聞の新聞にも記事が載りました。
またテレビ朝日やNHKのニュースでも大きく取り扱って頂きました。
雨降る中、わざわざ取材にお越し頂けた皆様。
おかげさまで龍神丸の事をたくさんの方に知って頂くことが出来ました!
大石店長に代わり、心より御礼申し上げます。
最後に。
本日沖縄からの帰路、お店より連絡がありました。
「うさぎやの小俣社長が、読売新聞の記事のコピーとお手紙を届けて下さいました」とのことで、急いでお店に帰ってさっそく見てみると、、

私もたっちゃんも敬愛する小俣社長のお手紙の中には、
「太平洋の真中をさまよっていた船が」
「龍神丸市場の店の看板を掲げて最高においしい料理でお客様をもてなしたところ、お客様からの評判が高くなり、たくさんの人達が龍神丸の名を口にして、日々その名を口にする人が増えていっていました」
「人々が龍神丸と言うたびに太平洋の龍神丸に声が伝わって、龍神丸は日本に帰ろうと海流に乗って今帰仁村に戻って来たように感じました」
「言葉の力(ことのは)で帰ってきた龍神丸は、大石店長と再会することができてどんなに嬉しかったでしょう。よかったですね! 2018年6月4日 うさぎや 小俣能範」
そうであったのかもしれない。
どうかそうであってほしい。
そして、これからもそうであらねばならないと強く思いました。
龍神丸、ありがとう。
長い船旅、本当にお疲れ様でした。
たっちゃん、本当に良かった!!
これからは龍神丸市場で「龍神丸」の看板と一緒に、少しずつご恩返しをしていかなきゃ、だね。



今回の龍神丸のお話は、6月5日(火)20時30分からの八王子FM「けいの家 龍神丸市場の嬉しかったら嬉しいな~!」で、二週連続でたっぷりとやりますので、ぜひ聴いて下さいね!!
(アプリで全国どこからでも聴けます)
https://775fm.com/timetable/keinoya/
Posted by けいちゃんりゅうちゃん at 20:52│Comments(3)
この記事へのコメント
こんにちは。
2000キロと言っても、あちこち漂流したでしょうから、かなり長い距離を走り続けたものでしょうね。
そうか~無人の船を見つけたら、遭難とか他の事件が考えられるものなんですね。だから、警察やマスコミや自治体も動いて。
プレートを持ち帰られただけでも、本当にラッキーなこと。
2000キロと言っても、あちこち漂流したでしょうから、かなり長い距離を走り続けたものでしょうね。
そうか~無人の船を見つけたら、遭難とか他の事件が考えられるものなんですね。だから、警察やマスコミや自治体も動いて。
プレートを持ち帰られただけでも、本当にラッキーなこと。
Posted by たまのり
at 2018年06月05日 05:12

たまのりさん、コメントありがとうございます。
7年もの間には、おそらくハワイ沖まで行っていたのでは?と地元の海人の方がおっしゃっていました。
プレートを持ち帰ることが出来て、本人もとても喜んでいました!
7年もの間には、おそらくハワイ沖まで行っていたのでは?と地元の海人の方がおっしゃっていました。
プレートを持ち帰ることが出来て、本人もとても喜んでいました!
Posted by ねこさん農園 at 2018年06月06日 18:11
たまのりさん、コメントありがとうございます。
7年もの間には、おそらくハワイ沖まで行っていたのでは?と地元の海人の方がおっしゃっていました。
プレートを持ち帰ることが出来て、本人もとても喜んでいました!
7年もの間には、おそらくハワイ沖まで行っていたのでは?と地元の海人の方がおっしゃっていました。
プレートを持ち帰ることが出来て、本人もとても喜んでいました!
Posted by ねこさん農園 at 2018年06月06日 18:12